Re:Start

いまはディレクターやってます

中小SIerを辞めて, (ニートを経て)デブサミに関わることにしました。

これは、正直過ぎるので、自分に取ってプラスになるかわからないけれど、書いてみた。


私は学生時代にホテルの仕事を始めた。
19で夢見がち過ぎて、大学に行かなくなってた時、PCばかりやってた。その時に楽天フリマで古着ばかり買ってて、安いといえど、貯金を果たしそうになり、やむなく始めたのが高給取りのホテルの配ぜん業。


コミュ力が低かった私がどうにかやってこれて、心の置き方の転換ができたのは、良い職場仲間に恵まれたことの成果が大きい。とても。いまだに人に対して微妙な距離があったり、失礼な態度を取りがちだったり、悪ノリ過ぎたりするところはやむを得ないけれども、感謝している。


何か大きな出来事、何か一つの大きなきっかけが起きたとき、そして自分がそれに向かい合おうとしたとき、自分の中のベクトルの向きが変わる。世界が広がる。


この感覚が私に取ってはプラスだったと思うから、こういう特別なきっかけが起こせるような何かを社会に提供したいと心密かに思うところがあった。それがどんな形なのか分からなかったので、今までも数人に話したが、形にはなってこなかった。


ホテルはとても居心地が良かったし、6年近くやって手慣れていただが、所詮は派遣業である。国立大学を出て、何してんの?という自分の内なる声が何度も自分の不安を揺るがした。
そんなこともあり、私はある日、大きな事件を起こす。
とても自己中な考え方を百も承知で言うと、自分の不満に対して向き合わなかったがゆえに生じた結果だった。勝手に解釈してなんとかしようと思ってたけれど、全然うまくいかなかった。気づけば常にイライラしていたかもしれない。キャリアを考える上で、人間関係に裏表が出来てた。


そして飛び出した。
これで、実は3回目の飛び出し。ともかく、戻ろうと考えたり、副職でやりたいと思えない給料をもらえることが最低条件で、かつ自分の興味があることを目指した。自分に向いてそうでやってみたいと思ったのが、プログラミングだった。HTMLでHP構築ぐらいしかやったことないけれど。


そこから必死でJavaと向き合った。2年目でMBPを買った。業務上では保守や設計が多かったので、いちから何かを作る力が乏しい。ぬーん。RoRやPlayFWに心引かれつつ、でも何か形に残せるほどのパワーは無かった。(サンプルアプリかWebAPI使ったサイトかローカルで動くバッチとかマクロぐらい)


3年目、特殊な精神の年上部下を持ち、稼働は高く、仕事に集中したいのに管理でも工数を取られ、ちょっとメンタルが腐りかけてたとき、DevLOVEHFと出逢う。新人の頃から社内でネットワークを作ろうとアレやコレやしてた私にとって、社外の力の強さは「なんじゃこりゃー」だった。


その前からいくつかイベントや勉強会には月に1~2回程度参加するようにしていたものの、内容に対して、実際と距離を感じることが多く、今思えば、会社にアピールする内申点稼ぎのようなものだった(ごめんなさい)自己陶酔ともいうのかもしれない。オレやってるぜ!感かなぁ。


HFでは、PFと心理学とエンジニアとして生きてきた話と震災のワークショップと振り返りと... その日、ちょうど後ろの用事がなくなったこともあり、懇親会にドタ参した。これが実際の仕事場にどのように生きたかといえば、劇的に何かが変わった!ということはないかもしれない。ただ、それは安直な話。誰かを巻き込むような大変化なんて1日そこらでできてたまるかというもの。
私の中身が紫から少なからず赤みを帯びだしたのだ。


そこから長い転職活動が始まる。


途中からコミュニティの裏方にもいくつかjoinさせてもらうようになる。
次第に転職活動の内容も変わる。上流から関われるSIer志望(面接でも言いやすいし)、だったのが、世界が広がるにつれて欲が出てくる。また、ライフ・ワーク・コミュニティバランスも自分の中で問題になってきた。さらに、フューチャーセンターという考えや、リーンスタートアップ、UXやUI、BMGenとやりたいことの幅が広がってきた。自他ともに認めるタグなし小僧の誕生である。Ta-DA!!!!


そして...


納得する人もいれば、なんで?と言う人もいて、複雑な状況でする。

ともかく一旦、悩める私に愛の手を差し伸べてくれたデブサミのかあちゃんこと岩切さんの元で働いてみる事にしました。しばらく本業はプログラマではなくなりますが、自分の世界を変える出会いの力を世の中に広げる活動に注力してみたいと思います。


なんていうか、イノベーションを果たすのはコードだけじゃないんだってさ。